スポーツ医学会の歩み 「スポーツ・医学会・オリンピック」
1928年に第2回冬季オリンピック大会がサン・モリッツで行われた際、国際スポーツ医学協会Association Internationale Mdico-Sportiveが結成され、同年、国際スポーツ医学会がアムステルダムで開催された。
2年後の30年の第2回総会においてAIMSは国際スポーツ医学連盟Fdration Internationale Mdico-Sportive et Scientifiqueと改名され、現在のFdration Internationale de Mdecine du sportに至っている。
第11回ベルリン・オリンピック大会のときに開催されたFIMSの総会では九つの専門分科会が設定されたが、その後の第二次世界大戦のため立ち消えとなった。
しかし、第15回ヘルシンキ大会の総会において、次の7項目を推進することが議決された。
すなわち、1・スポーツなどの教育的意義、2・科学的研究の必要性、3・科学的知識の多方面への応用、4・医学教育課程へのスポーツ医学の組込み、5・スポーツマンと一般体育者に共通する医学的処置、6・スポーツ医学における理論と実際、7・スポーツ医学者、生理学者と他分野の研究者たちとの知識交換、の7項目である。
なお、国際スポーツ医学会は、オリンピックの年と、その中間年に開催されることとなっている。
日本におけるスポーツ医学のおこりは、1924年に国立体育研究所が設立されたことに始まり、その趣旨は国民体力の増強に置かれていた。
1933年になるとスポーツ医事相談所が開かれ、スポーツマンの健康管理に対する配慮が払われるようになった。
また、1938年の第10回日本医学会総会においては、臨時分科会として体育医学会が開催された。
第二次世界大戦後は1946年の第1回国民体育大会をきっかけとして、日本体力医学会が発足し、3年後の49年、第1回日本体力医学会が公衆衛生院で開かれた。
そして、翌50年、日本体力医学会は、日本医学会の第39分科会として正式に認められることとなる。
なお、日本体力医学会は、1954年からFIMSに加盟している。
2年後の30年の第2回総会においてAIMSは国際スポーツ医学連盟Fdration Internationale Mdico-Sportive et Scientifiqueと改名され、現在のFdration Internationale de Mdecine du sportに至っている。
第11回ベルリン・オリンピック大会のときに開催されたFIMSの総会では九つの専門分科会が設定されたが、その後の第二次世界大戦のため立ち消えとなった。
しかし、第15回ヘルシンキ大会の総会において、次の7項目を推進することが議決された。
すなわち、1・スポーツなどの教育的意義、2・科学的研究の必要性、3・科学的知識の多方面への応用、4・医学教育課程へのスポーツ医学の組込み、5・スポーツマンと一般体育者に共通する医学的処置、6・スポーツ医学における理論と実際、7・スポーツ医学者、生理学者と他分野の研究者たちとの知識交換、の7項目である。
なお、国際スポーツ医学会は、オリンピックの年と、その中間年に開催されることとなっている。
日本におけるスポーツ医学のおこりは、1924年に国立体育研究所が設立されたことに始まり、その趣旨は国民体力の増強に置かれていた。
1933年になるとスポーツ医事相談所が開かれ、スポーツマンの健康管理に対する配慮が払われるようになった。
また、1938年の第10回日本医学会総会においては、臨時分科会として体育医学会が開催された。
第二次世界大戦後は1946年の第1回国民体育大会をきっかけとして、日本体力医学会が発足し、3年後の49年、第1回日本体力医学会が公衆衛生院で開かれた。
そして、翌50年、日本体力医学会は、日本医学会の第39分科会として正式に認められることとなる。
なお、日本体力医学会は、1954年からFIMSに加盟している。
update:2010年02月25日
